「いらっしゃいませ、お一人様ですね。カウンター席が空いております、どうぞこちらへ」
ランチタイムのピークが少し過ぎ、一人で来店した女性を誰も座っていないカウンター席に案内する。今まさに珈琲を煎れていた店長がいらっしゃいと声を掛けメニューを渡す。さりげなくおススメのメニューを教えるスマートさは流石店長といえるものだった。もう見慣れた光景ではあるがこの人のスマートさには一生叶わないだろう。さっき帰った客の皿を下げテーブルを拭きこの後どうするかを考える。休憩までまだ少し時間がある。厨房に入ってフルーツサンドの仕込みを後輩に教えながら時間になるのを待つのがいいか、と考えていると店のベルがチリンと鳴る。休憩前の最後のお客様だ。もうすっかり慣れた営業スマイルを作る。
「いらっしゃいま………はぁ…また君なの」
「やぁ菊治。お仕事頑張ってるみたいで感心だ、もうすぐ休憩だろう?オレサマに美味しい珈琲とおススメのランチを出す権利やるからサ、ちょっと耳貸せよ」
一番嫌な客が来た、と菊治はため息をつく。潮待延寿。高校時代の同級生で一度だけクラスが一緒になった程度の奴。一時期一緒になって悪ふざけをしていた事もあるがそれだけでしかなかった。特別仲が良かったわけでもない。ただお互い悪ノリのテンションが合致したというだけ。それだけなのに最近ばったり遭遇してしまい妙にしつこく店に訪れては絡んでくるようになった。ニコニコと笑ってはいるが獲物を吟味する蛇のような目付きは昔からどうも好きじゃない。相手を見透かすような、舌なめずりされているような気持ち悪さを感じる。ここが店ではなく家だったら追い返せていたのだが客と従業員という立場上そういうわけにもいかない。しかし営業スマイルは不要だったと心底後悔する。
「…お好きな席にどうぞ。まぁどうせいつもの角なんだろう?空いてるよ。珈琲とランチだっけ、一番高いやつ持ってくるから財布覚悟しておきなよ」
「わぁー嬉しいねぇ~、オレサマの財布今賑やかだから諭吉も英世も寂しくないってサ」
いつものように嫌味混じりの会話をした後延寿は店長に一言挨拶をして角の4人席に座る。最近しつこく来るせいで店長も延寿の顔を覚えてしまい、面食いな店長は根掘り葉掘り聞いてきた。あわよくば従業員になってくれないか、など考えているようでやめたほうがいいとだけ伝えた。延寿は昔から何を考えているかもわからない上、何をしようとしているかも突発的に何をするかも謎だ。しかしリーダーシップと責任感はあるようで学生時代から一定数人気はあったようだし確か生徒会役員で会長だったか副会長だったか…。興味がなさすぎておぼろげにしか覚えていないが。面倒なのに絡まれたな本当に、とため息を吐いてから店長に珈琲一杯の注文を伝え、自分は一番高いランチ(といっても基本ランチメニューは一律)をどうにか拵えようと厨房に入る。厨房で他の客が頼んだであろうフルーツパフェをつくっているバイトの後輩と目があう。
「あ、菊治さんお疲れ様です。…あれ、休憩ですよね?どうして厨房に?」
「お疲れ様。ちょっと面倒なオーダーが入ってね、それ作ったら休憩入るよ。パフェ上手く作れた?」
「あ~…あの人かぁ…、わかりました。ん~…菊治さんみたいに上手じゃないですけどなんとか」
「出せるレベルにまでなったんだから上出来。天照の不器用さは今までの従業員でダントツ一位だって店長も言ってたよ」
「そういう事言わないでくださいよ…自覚はしてます…」
後輩の鬼丸天照は眉を八の字に下げながら少し歪なソフトクリームの上にフルーツを盛り付ける。バイトリーダーである菊治が一番手を焼いた後輩であり一番目にかけている後輩。最初はただの客として来ていたのだがなかなかバイトに受からないと店長に相談した結果ココで働くことになった。特に面接や履歴書の提出もなく要するに顔パス。自分の時もそうだったのだが店長はイケメンに目がなく美形、わんこ、ハンサムと見境なくバイト勧誘している。(ちなみにこの店の従業員は店長も含め全員男性。)実際天照もかなり整った美形イケメンであり柔らかな雰囲気は魅力的だと言える。"時々入る顔パスは技量がわからず困るんだよね、主に指導係が。"という愚痴を自分が入った当初聞いたがそれを一番自覚したのはこの天照の教育係にされてからだ。珍事件の連続で店長も自分も驚かされた。まさか包丁の持ち方から教えることになるとは…。少々事情があるらしく女性が苦手で少しずつ慣れたいという希望でまずは厨房を、という話になったのだが…不器用も不器用。菊治が手本を真横で見せやってみてと包丁を持たせただけで全く別のものが生まれる。初歩の初歩という簡単なフルーツカットでさえ何をどうやったらこれができるのかという形状になる。この店で長く働いているがそんな後輩は初めてで最初こそ頭を抱えたものの著しい成長速度に教えるのが楽しくなってしまいなんだかんだ世話を焼いてしまっている。たまにからかったりと軽口も増えた。天照も少しずつできることが増え楽しそうに働いているし最近ではホールに出て接客もできるようになった。先輩として誇らしく嬉しい事だった。まだ不器用さの残るパフェもそれらを通してみればとても愛らしいパフェに見えてくる。
「ふふ、フルーツのせたら何するんだっけ?」
「ポッキーとナッツでしょう?ちゃんとわかってますよ菊治さん」
「よくできました」
たまにこうして吹っ掛けるのも楽しい時間の一つだ。天照は手際よくポッキーを刺しナッツを振りかけるとパフェとスプーン、紙ナプキンをトレイに乗せホールに出る。お待たせしました、と天照の声を聞き届け自身は例の面倒な客のランチ製作をはじめる。この店で一番高いメニュー…といってもごく普通の珈琲喫茶の金額なんてどれも2千円以下なのだが。海鮮パスタの大盛でも出しておくか、と冷蔵庫からそれなりの材料を出し調理する。菊治がバイトリーダーになってからは厨房である程度自由が効くようになり店長に頼まれてたまに新メニューを考えたりすることもあった。それほど菊治の料理の手際も味もよかったのだ。一人でささっとパスタを作り綺麗に皿に盛り付け自分が飲む水と一緒にトレイに乗せホールに出る。店長に一言休憩はいりますと伝え嫌な客の元に向かう。嫌な客を遠目で見ると待っている間に店長が先に出してくれていた珈琲を飲みながらタブレットをいじっている。黙って座ってれば絵になるんだけどね、と思いながら菊治は角の席に到着し今作ったパスタを提供する。
「お待たせしました、大盛パスタになります。どうぞ"残さず""美味しく"召し上がり下さいませ」
「うっっっわ何この量、何人前作ったの」
「三人前くらいだったかな?残さず食べなよ、これ料金1600円ね」
「値段割とリーズナブルじゃん、量はかけ離れすぎてるけど。大盛りメニューとかやってたっけ?この店」
いただきます、と食べ始めようとする延寿の正面に座りただの水を飲む。
「お前は?ランチまだだろう?」
「どうせそれ食べきれないでしょ。勿体ないし口付ける前に半分寄こしなよ。請求はきっちり1600円もらうから」
「…皿とフォークは?」
「数年も働いてれば客に見えないように持ってくる事もできるんだよ」
「流石人気ナンバーワン店員~」
「…それどこ調べ?」
「適当に言っただけサ」
「だと思ったよ」
嫌がらせの為に無駄にしていい食材はない。最初から自分のランチのメニューを考えていた。たまたま食べたくなったパスタが一人前から三人前になっただけの話だ。丁度半分くらいの量を自身の空の皿に移す。移し終えるのを見届けると延寿は再度いただきますと言ってから普通よりも少し多いくらいの量になったパスタに手をつける。
「それで?何の用?いつもみたいに茶々入れに来ただけならそれ食べ終わり次第追い出すけど」
「…お前モデルに戻る気ないの?」
一瞬黙った後延寿はじっと菊治を見る。目を見るに茶化すつもりはなく真面目な話をしに来たようだった。菊治は喫茶店のバイトを始める前はモデルをしていた。学生の頃からSYMPATHIQUE PRODUCTIONに所属し何回か雑誌の表紙も飾った事がある。高校卒業まで続けていたのもあり辞めた今でもそれなりに顔は知られているようで、たまにお客様に声を掛けられることもある。延寿は同じ高校だったのもありそのあたりの事はリサーチされていた。この間は嫌がらせと称してモデル時代に受けたインタビュー記事を音読された。
先ほど言ったようにバイトを始める前の話で、もうモデル活動は辞めており事務所も退所している。
「事務所も辞めたからね」
「そんな整った顔しといて?」
「生まれつきだし」
「当時と同じ体型維持してるくせに?」
「幼い頃の習慣は抜けないっていうでしょ、それだよ。あとなんで体型維持してんのわかったの気色悪」
「あーあー、話が反れる。聞き方を変える、お前芸能界にもう興味はねぇの」
「…無いけど。何?そこまで僕に戻ってほしい理由でもあるわけ?」
そこまで一気に会話をすると延寿はふぅと一呼吸おき再び口を開く。
「オレサマ、お前の顔は嫌いじゃないから勿体ないと思ってんだよ」
「気色悪い」
「とりあえず聞けよ。オレサマ、新米事務所の副社長やってんの。要するにスカウトって奴な」
「…は?冗談でしょ」
「冗談じゃない、なんと新米事務所にして近くに姉妹事務所もある。すごいだろ。今事務所に電話してもちゃんとスタッフが出てくれるけど試す?」
延寿は名刺入れから一枚名刺を取り出しスッと差し出すと電話番号の欄を指さす。
「…こんな手の込んだドッキリ仕掛けても意味ないしケースに入ってた枚数的にも本当なんだろうね、本当にスカウトならお断りだけど」
「今、世の中はアイドルブームだろ。お前の古巣のサンプロもアイドル業に手を出した。お前ほどのルックスとその響く良い低音、喫茶店の店員のまま終わらせるのはやっぱり勿体ない」
「だから、モデルではなくアイドルになれ。と?」
「そう」
「お断り」
「お前頑固な所もこれっぽっちも変わんねぇな」
「僕だからね。…というか顔だけは整ってるんだから延寿がやればいいじゃないか、アイドル」
「オレサマは既に確定事項だよ、副社長兼看板アイドルって奴。絶賛相方募集中ぅ」
「君の相方になんて死んでもならないよ」
「お、それは奇遇だね。オレサマも同じこと思ってたよ。ま、何回か勧誘にくるから考えとけよ」
淡々と話しながら延寿はいつの間にか食べ終えていた皿にフォークを置き紙ナプキンで上品に口を拭く。横に置いていた帽子をさっとかぶり直し帰り支度を済ませ、店長が待機しているレジに向かう。言いたい事を言い終えたからなのかいつもは絡みに一度戻ってくる所今日は一度も振り返りもせず店を出て行った。嵐が過ぎ去った後のように静かな空間が戻ってきた。以前から突拍子もないことをやる人間だったが同い年で副社長になるとは。
「アイドル、ねぇ… 僕はこの生活に満足しているんだけど」
高校卒業間近、周りは進路だなんだ進学がなんだと騒ぐ中菊治は自分のやりたいことがわからなくなっていた。モデルという仕事は退屈しないし面白かったが進んでやりたかった事ではなかったしやる事がないからやっているだけに近かった。夢や目標、夢中になれるもの、やりたい事を持っていなかった菊治はそれを探す為様々なバイトや習い事に手を出し、今に至る。今の生活はとても充実していて楽しい。この生活を変えるつもりはこれっぽっちもなかった。ましてや辞めた事をもう一度やってみよう、という気にもなれなかった。アイドルはやったことがないが自分が笑顔を振りまいて歌う姿など想像するだけで笑えてくる。性に合わない。
「例のお客さん、帰られたんですか?」
食器を持ち厨房へ戻ると休憩に入りまかない(というなの失敗作)を食べていた天照に話しかけられる。天照も何度か延寿に遭遇した事があり菊治が鬱陶しがっているのを知っていた。
「あぁ、帰ったよ。本当凝りない…天照も捕まらないようにね、変なのに」
「あはは…気を付けます。でも友人なんでしょう?今日はいつもより長くお話されていましたけど…」
「ただの顔見知りだよ、友人というほどの仲じゃない。あー、アイドルやらないかってスカウトされた。断ったけどね」
「えっ!?…あの人何者なんですか…?同い年って言ってませんでしたっけ」
天照は大きいくりくりの目を見開いて驚き不思議そうな顔をして、おまけに食べていたまかないを口に運ぶ手も止まっている。
「変な奴だからね。俺なんかよりも天照の方がスカウトされてそうだけどね、そこらへんでは見ないくらい綺麗な顔してるし」
「え、…えと…まぁそれなりに声をかけられた事はありますけど…女性の方から声掛けられる事が多かったので逃げました…本当ダメで…」
「女性嫌いがそこまでいくと何があったのか逆に気になるよ」
今では接客もできるようになったが最初の頃は目に見えて女性に怯えてしまいオーダーを聞きに行けなかったこの後輩。きっと特定の一人二人という話ではないのだろうということは拒否反応から見て取れるがここまで苦手になった理由が非常に気になる。
「聞かないでください…普通に接客できるくらいにはやっとなれたんですよ一応」
「そうだね、どもらずにちゃんと会話できるようになったもんね」
「また菊治さんはそういう意地悪を言う…」
「僕なりの愛情表現だよ天照、年下の子は皆可愛いけど手を焼く子ほど可愛いっていうでしょ」
「確かに誰よりも面倒見てもらってますけどね…」
年下の子はころころ表情が変わってとても可愛い。先ほどまでの嫌な気分が吹き飛ぶような気さえする。ここまで話したところで覗きに来た店長に混んできたから二人とも来てー、と呼び出される。
「天照はゆっくり食べてていいよ、変人のせいで多めに休憩もらっちゃったし僕がやっておくから」
後輩に告げ早足でホールに戻る。昼食後のお腹が落ち着いた午後三時のおやつ時。ティータイムの女性や子供連れのお客様が多く来られる時間。店はディナーはせずに午後六時をラストオーダーとしているためこの後はあっという間に時間が過ぎていき今日も何事もなく一日を終えた。
明日の仕込みやシフトの確認をした後帰路につく。ふと今日を振り返った時最近やたら来る延寿のことが頭をチラついた。あの蛇はきっと通い始めた最初からスカウト目的だったのだろう。一度や二度の勧誘で折れないであろうことも予測され明日からはもっと面倒になりそうだと菊治は腹を括った。
次の日。案の定潮待延寿はやってきた。いつもは菊治の休憩時間に合わせてやってくるのだが今日はラストオーダーギリギリを狙ってきたのだろう。延寿は昼間よりも少なくなった店に入店しいつもの席に座る。いつもの珈琲と菊治をお願いします、とまるでメニューのように注文してくるのをキッチンで聞いていた菊治は頭からブラック珈琲をかけてやろうかと頭をよぎった。
美形を拝めて満足な店長に言われ渋々延寿の向いの席に座り腕を組みながら大きくため息をつく。
「…はぁ…こんな時間に何。スカウトの件は昨日断ったはずだけど。まだ僕に何か用なの?いい男ならこの店他にもいっぱいいるだろ」
「よぉ、菊治。いや~ね?お前相変わらず頑固だしどうするかなぁ~なんてオレサマも思っててサ。昨日の今日で口説きにきても折れないだろうし?とはいえオレサマにも時間ないし…って時にな」
延寿は自身のタブレットを軽く操作しながら説明を始める。口調はいつものふざけた調子であるものの目つきは真面目そのもので本格的に落としに来ているのだと感じ取った。かといって受ける気は菊治には全くなかった。菊治は黙ったまま説明を聞く事にする。
「昨日までは一菊治をスカウトした後ユニットかソロかで売り出すか決めるって方向で考えていたんだ」
「ふ~ん…(まだ承諾すらしてないんだけど)」
「…が。お前にそのやり方でスカウトしていたら絶対首を縦に振らないだろ?だからやり方を変えることにした。お前は絶対頷くとオレサマ確信してるんだよ菊治」
「へぇ、随分な自信だね。何、サンプロに何か根回しでもして弱みでも握った?僕別に弱みとかないから今更何晒してもらっても構わないけど」
「オレサマもアイドルになるって話したの覚えてるお前……。そんなやり方したところでお前言う事聞かないだろ」
「まあね。で?どうやって僕を釣るつもり?」
すると延寿はタブレットを取り出し菊治に見せる。青年2人の写真が並べて表示されている。少し赤みかかったピンク系の髪色に色合いの違うオレンジ系のオッドアイで少し目立つそばかすの可愛い系の青年と、長く少し外側にはねた白髪に金色に近い瞳を持つ長い睫毛のクール系の顔立ちの青年。
「その子たちは今所属が確定してる。あと一人今交渉中だけど多分入ることになるだろうね。で、お前にその3人と一緒にユニットやってほしいわけ」
「結構集まってるなら僕いらないんじゃないの。芸能界に夢見てる子なんてたくさんいそうだし。…ちなみにこのピンク髪の子年齢いくつ」
「17。ニヤけ面少しは隠せよ。オレサマたちの事務所のタレントは素人ひよっこの集まりな訳よ菊治くん。芸能界の右も左もわからずに入ってくる素人ちゃん。勿論スタッフとマネがバックアップもフォローもするとはいえ何も知らない子をぽーんと経験豊富な大手事務所アイドルたちとの仕事の取り合いに出させられると思う?いくら肝が据わっててもそんな大博打、オレサマは打たない」
「…そうだね。結構暗黙のルールみたいなのもあるし常識過ぎてわざわざ教えないようなこともあると思うよ」
「そこでお前だよ菊治。一度引退してるとはいえ芸歴は今活躍してるアイドルよりも長いし少しだけとはいえTVにも出演経験がある。なんだかんだフリプロにもエスプロにも行ったことがあり顔見知りもいる。当たり前だがさっき言った常識やタブーの類は一通りわかってる人間だ。事務所としてもユニットとしてもお前程適役はいないんだよ」
延寿が真面目な顔をして理由を語っている間、菊治はピンク髪の彼をじっと見つめ半分上の空だった。流すように話しを聞いている菊治を見て延寿はニッと笑みを浮かべる。視界に入った店長が菊治が珍しい表情をしているからか不思議そうな顔をしてこちらを見ていたが気にせず珈琲を一口飲み、カップを置いて再び話し始める。
「…で、菊治。今お前がずぅ~っと気持ち悪い目で見てる彼、今ならなんと同じユニットで肉眼で見る権利が得られるわけだけど。お前どうする?スカウト受ける?」
「いいよ」
あっさり。散々芸能界に入るつもりはないだの、今の生活に満足しているだのと言っていた人物がこの通り。延寿としては思った通りだったが想像以上に単純であっけなく、口説き落とすためのあれやそれやを半分以上出さずに終わってしまいガッカリしたという感情のほうが大きかった。当の菊治はまだ画像の彼をみつめている。
「お前本当わかりやすいくらい欲に誠実だな!?オレサマの苦労柚楽ちゃんの写真一枚で解決かよ…」
何を隠そう、という程でもないが菊治はかなりの年下好きであり基本的に年下というだけで可愛いと思っている。恋愛対象も必須事項として年下があげられている(※過去のインタビュー記事より)。そして特にタイプを見つけると構い倒したくなる性分である事を延寿は高校時代にたまたま知った。当時はメディアに露出していたのもあり一菊治としてのキャラがミステリアスに全振りされていた為それを見た際は妙に変態じみていてかなり引いた事を延寿は思い出す。かなり昔の記事にも年下好きと答えていたところを見るとその面はミステリアスという一面よりも前に存在していたのかもしれない。年下の女性より男性の方が好みが多いらしいというのは延寿が独自で調べた事だった為半信半疑だったが見事に性別を含めた外見のタイプも的中していたようだ。ラブかライクかは考えないでおくが今時珍しくもないしもしそうだとしても驚かないだろう。あの菊治ならありえなくもない。勿論、菊治をスカウトするために年下の彼をスカウトしたわけではなく本当にたまたまだったがラッキーと考えることにする。
一方菊治は久しぶりに出会う可愛い系男子に釘付けであった。年下は年下というだけで可愛いと常々思っている菊治だが、愛でる対象としての好きに出会うことは実はそんなに多くはない。それに小さく丸くて可愛い期間というのは男だとどうしても短い。男は誰でもかっこよくありたいと思う生き物だというのは菊治自身もそうであるため理解しているが、可愛いと言われ続けた少年たちは大体が"可愛い"をコンプレックスに捉え男らしさを目指し可愛らしさを捨ててしまう。故に、菊治でいうところの愛でる対象から外れていってしまうのだ。つい最近もデビュー当時から追っていたモデルの推し(男)が今までの爽やかなファッション誌を卒業しグラビア雑誌に移り鍛えて引き締まった体を披露していた。年下の成長を見守れる嬉しさはあるのだが、可愛い彼が好きだった者としては複雑な心境である。勿論中身も見ているがそれを含めても年下の"可愛い"を推しているのだ。推しが一人また一人と減るそんな中、新たな可愛いが飛び込んできたのだ。飛びつく以外菊治の頭には何もない。
「この子"ゆら"っていうんだ。ふふ、名前まで可愛いんだね。白髪の子も大人びた顔付きだけど多分年下でしょ?いくつ?あと候補のもう一人も」
「薬師寺柚楽、17歳。綾瀬彪、25歳。もう一人はまだ仮だから名前は伏せるけど今27歳で12月で28歳。お前は上から二番目」
「へぇ、20代後半多いんだね。大体アイドルって10代から20代前半にデビューしてるイメージだけど。僕としては好条件だけどね、一番上はまとめ役になりそうで面倒だしちょうどいい位置じゃない。延寿と一緒じゃないしね」
「うちの事務所は"訳アリ"さんもOKってのが売りだから。犯罪とかそういうの絡みじゃない限りは。元バンドマンでもいいし元医者でもいい。例え親がいなくて保証人欄が空白になったって本人のやる気とそれに見合ったものがあればチャンスはあるよ~ってね、書類上調整が大変にはなるけど」
「そうまでしてなりたいものなの?アイドルって」
「少なくともそういう子をオレサマ三人は見た。お前やオレサマみたいにドライなやつにはあまり理解できない話かもしれないけどサ」
「延寿はやりたい事しかありませぇ~んって感じだけどアイドルは違うの?」
「なりたかった訳でもやるつもりも最初はなかったサ。成り行きで。目立つのは嫌いじゃないけどね、オレサマはスカウトと社長代理の業務が割と楽しくて気に入ってるからサ」
延寿はゆっくりと珈琲を啜る。話に夢中でその存在を疎かにした代償として少し冷めてしまった珈琲に一瞬眉間に皺を寄せた。
「お前がこんな簡単に釣れるなら最初からこうするんだった、最初の説得が無駄になった」
「僕の性格の見通しが甘かったね、了承してしまったからには仕方なくお前に従ってあげるけど僕はどうすればいい訳?あと柚楽君の写真スマホに送っといて」
「本人の許可いるから無理」
「取りなよ許可」
「とりあえずまだ全員揃うまで時間がある。一番年上の彼の事情が落ち着くまでは動けない。それに姉妹事務所の上とも話さなきゃいけない案件だからその辺もな。面子は揃ったから一歩前進…という所になる」
「ふ~ん?じゃあ僕はまだここで働いてていいんだ。いつからか決まったら連絡寄越しなよ、一か月前に。僕この喫茶店では結構重宝されてたんだから。バイトリーダーの引継ぎもしなきゃだし」
菊治がふと後ろで片付けをしていた店長を見やると、静かな店内でよく響く二人の会話が筒抜けになっていたようで複雑な表情をしながらこちらを見ている。涙目に右手にはハンカチで今にもおよよよ…と泣き出しそうな雰囲気だ。辞める時にある意味一悶着起きそうだと覚悟した。延寿にも店長の様子が見えた様で"辞めるの大変そうだ事…"とでも言いたげな表情で視線を珈琲に無理やり戻している。
「…まぁ、さっきも言ったが今すぐどうこうという話では無い。数ヶ月先かもしれないし問題が起きれば半年後、1年…なんて事もあるかもしれない」
「…気の長い話になってくるね、それは」
「そうさせるつもりもないしそこまで待たされたらお前をもっかい落とす所からになりそうだからな」
「へぇ、よく分かってるね」
ランチタイムのピークが少し過ぎ、一人で来店した女性を誰も座っていないカウンター席に案内する。今まさに珈琲を煎れていた店長がいらっしゃいと声を掛けメニューを渡す。さりげなくおススメのメニューを教えるスマートさは流石店長といえるものだった。もう見慣れた光景ではあるがこの人のスマートさには一生叶わないだろう。さっき帰った客の皿を下げテーブルを拭きこの後どうするかを考える。休憩までまだ少し時間がある。厨房に入ってフルーツサンドの仕込みを後輩に教えながら時間になるのを待つのがいいか、と考えていると店のベルがチリンと鳴る。休憩前の最後のお客様だ。もうすっかり慣れた営業スマイルを作る。
「いらっしゃいま………はぁ…また君なの」
「やぁ菊治。お仕事頑張ってるみたいで感心だ、もうすぐ休憩だろう?オレサマに美味しい珈琲とおススメのランチを出す権利やるからサ、ちょっと耳貸せよ」
一番嫌な客が来た、と菊治はため息をつく。潮待延寿。高校時代の同級生で一度だけクラスが一緒になった程度の奴。一時期一緒になって悪ふざけをしていた事もあるがそれだけでしかなかった。特別仲が良かったわけでもない。ただお互い悪ノリのテンションが合致したというだけ。それだけなのに最近ばったり遭遇してしまい妙にしつこく店に訪れては絡んでくるようになった。ニコニコと笑ってはいるが獲物を吟味する蛇のような目付きは昔からどうも好きじゃない。相手を見透かすような、舌なめずりされているような気持ち悪さを感じる。ここが店ではなく家だったら追い返せていたのだが客と従業員という立場上そういうわけにもいかない。しかし営業スマイルは不要だったと心底後悔する。
「…お好きな席にどうぞ。まぁどうせいつもの角なんだろう?空いてるよ。珈琲とランチだっけ、一番高いやつ持ってくるから財布覚悟しておきなよ」
「わぁー嬉しいねぇ~、オレサマの財布今賑やかだから諭吉も英世も寂しくないってサ」
いつものように嫌味混じりの会話をした後延寿は店長に一言挨拶をして角の4人席に座る。最近しつこく来るせいで店長も延寿の顔を覚えてしまい、面食いな店長は根掘り葉掘り聞いてきた。あわよくば従業員になってくれないか、など考えているようでやめたほうがいいとだけ伝えた。延寿は昔から何を考えているかもわからない上、何をしようとしているかも突発的に何をするかも謎だ。しかしリーダーシップと責任感はあるようで学生時代から一定数人気はあったようだし確か生徒会役員で会長だったか副会長だったか…。興味がなさすぎておぼろげにしか覚えていないが。面倒なのに絡まれたな本当に、とため息を吐いてから店長に珈琲一杯の注文を伝え、自分は一番高いランチ(といっても基本ランチメニューは一律)をどうにか拵えようと厨房に入る。厨房で他の客が頼んだであろうフルーツパフェをつくっているバイトの後輩と目があう。
「あ、菊治さんお疲れ様です。…あれ、休憩ですよね?どうして厨房に?」
「お疲れ様。ちょっと面倒なオーダーが入ってね、それ作ったら休憩入るよ。パフェ上手く作れた?」
「あ~…あの人かぁ…、わかりました。ん~…菊治さんみたいに上手じゃないですけどなんとか」
「出せるレベルにまでなったんだから上出来。天照の不器用さは今までの従業員でダントツ一位だって店長も言ってたよ」
「そういう事言わないでくださいよ…自覚はしてます…」
後輩の鬼丸天照は眉を八の字に下げながら少し歪なソフトクリームの上にフルーツを盛り付ける。バイトリーダーである菊治が一番手を焼いた後輩であり一番目にかけている後輩。最初はただの客として来ていたのだがなかなかバイトに受からないと店長に相談した結果ココで働くことになった。特に面接や履歴書の提出もなく要するに顔パス。自分の時もそうだったのだが店長はイケメンに目がなく美形、わんこ、ハンサムと見境なくバイト勧誘している。(ちなみにこの店の従業員は店長も含め全員男性。)実際天照もかなり整った美形イケメンであり柔らかな雰囲気は魅力的だと言える。"時々入る顔パスは技量がわからず困るんだよね、主に指導係が。"という愚痴を自分が入った当初聞いたがそれを一番自覚したのはこの天照の教育係にされてからだ。珍事件の連続で店長も自分も驚かされた。まさか包丁の持ち方から教えることになるとは…。少々事情があるらしく女性が苦手で少しずつ慣れたいという希望でまずは厨房を、という話になったのだが…不器用も不器用。菊治が手本を真横で見せやってみてと包丁を持たせただけで全く別のものが生まれる。初歩の初歩という簡単なフルーツカットでさえ何をどうやったらこれができるのかという形状になる。この店で長く働いているがそんな後輩は初めてで最初こそ頭を抱えたものの著しい成長速度に教えるのが楽しくなってしまいなんだかんだ世話を焼いてしまっている。たまにからかったりと軽口も増えた。天照も少しずつできることが増え楽しそうに働いているし最近ではホールに出て接客もできるようになった。先輩として誇らしく嬉しい事だった。まだ不器用さの残るパフェもそれらを通してみればとても愛らしいパフェに見えてくる。
「ふふ、フルーツのせたら何するんだっけ?」
「ポッキーとナッツでしょう?ちゃんとわかってますよ菊治さん」
「よくできました」
たまにこうして吹っ掛けるのも楽しい時間の一つだ。天照は手際よくポッキーを刺しナッツを振りかけるとパフェとスプーン、紙ナプキンをトレイに乗せホールに出る。お待たせしました、と天照の声を聞き届け自身は例の面倒な客のランチ製作をはじめる。この店で一番高いメニュー…といってもごく普通の珈琲喫茶の金額なんてどれも2千円以下なのだが。海鮮パスタの大盛でも出しておくか、と冷蔵庫からそれなりの材料を出し調理する。菊治がバイトリーダーになってからは厨房である程度自由が効くようになり店長に頼まれてたまに新メニューを考えたりすることもあった。それほど菊治の料理の手際も味もよかったのだ。一人でささっとパスタを作り綺麗に皿に盛り付け自分が飲む水と一緒にトレイに乗せホールに出る。店長に一言休憩はいりますと伝え嫌な客の元に向かう。嫌な客を遠目で見ると待っている間に店長が先に出してくれていた珈琲を飲みながらタブレットをいじっている。黙って座ってれば絵になるんだけどね、と思いながら菊治は角の席に到着し今作ったパスタを提供する。
「お待たせしました、大盛パスタになります。どうぞ"残さず""美味しく"召し上がり下さいませ」
「うっっっわ何この量、何人前作ったの」
「三人前くらいだったかな?残さず食べなよ、これ料金1600円ね」
「値段割とリーズナブルじゃん、量はかけ離れすぎてるけど。大盛りメニューとかやってたっけ?この店」
いただきます、と食べ始めようとする延寿の正面に座りただの水を飲む。
「お前は?ランチまだだろう?」
「どうせそれ食べきれないでしょ。勿体ないし口付ける前に半分寄こしなよ。請求はきっちり1600円もらうから」
「…皿とフォークは?」
「数年も働いてれば客に見えないように持ってくる事もできるんだよ」
「流石人気ナンバーワン店員~」
「…それどこ調べ?」
「適当に言っただけサ」
「だと思ったよ」
嫌がらせの為に無駄にしていい食材はない。最初から自分のランチのメニューを考えていた。たまたま食べたくなったパスタが一人前から三人前になっただけの話だ。丁度半分くらいの量を自身の空の皿に移す。移し終えるのを見届けると延寿は再度いただきますと言ってから普通よりも少し多いくらいの量になったパスタに手をつける。
「それで?何の用?いつもみたいに茶々入れに来ただけならそれ食べ終わり次第追い出すけど」
「…お前モデルに戻る気ないの?」
一瞬黙った後延寿はじっと菊治を見る。目を見るに茶化すつもりはなく真面目な話をしに来たようだった。菊治は喫茶店のバイトを始める前はモデルをしていた。学生の頃からSYMPATHIQUE PRODUCTIONに所属し何回か雑誌の表紙も飾った事がある。高校卒業まで続けていたのもあり辞めた今でもそれなりに顔は知られているようで、たまにお客様に声を掛けられることもある。延寿は同じ高校だったのもありそのあたりの事はリサーチされていた。この間は嫌がらせと称してモデル時代に受けたインタビュー記事を音読された。
先ほど言ったようにバイトを始める前の話で、もうモデル活動は辞めており事務所も退所している。
「事務所も辞めたからね」
「そんな整った顔しといて?」
「生まれつきだし」
「当時と同じ体型維持してるくせに?」
「幼い頃の習慣は抜けないっていうでしょ、それだよ。あとなんで体型維持してんのわかったの気色悪」
「あーあー、話が反れる。聞き方を変える、お前芸能界にもう興味はねぇの」
「…無いけど。何?そこまで僕に戻ってほしい理由でもあるわけ?」
そこまで一気に会話をすると延寿はふぅと一呼吸おき再び口を開く。
「オレサマ、お前の顔は嫌いじゃないから勿体ないと思ってんだよ」
「気色悪い」
「とりあえず聞けよ。オレサマ、新米事務所の副社長やってんの。要するにスカウトって奴な」
「…は?冗談でしょ」
「冗談じゃない、なんと新米事務所にして近くに姉妹事務所もある。すごいだろ。今事務所に電話してもちゃんとスタッフが出てくれるけど試す?」
延寿は名刺入れから一枚名刺を取り出しスッと差し出すと電話番号の欄を指さす。
「…こんな手の込んだドッキリ仕掛けても意味ないしケースに入ってた枚数的にも本当なんだろうね、本当にスカウトならお断りだけど」
「今、世の中はアイドルブームだろ。お前の古巣のサンプロもアイドル業に手を出した。お前ほどのルックスとその響く良い低音、喫茶店の店員のまま終わらせるのはやっぱり勿体ない」
「だから、モデルではなくアイドルになれ。と?」
「そう」
「お断り」
「お前頑固な所もこれっぽっちも変わんねぇな」
「僕だからね。…というか顔だけは整ってるんだから延寿がやればいいじゃないか、アイドル」
「オレサマは既に確定事項だよ、副社長兼看板アイドルって奴。絶賛相方募集中ぅ」
「君の相方になんて死んでもならないよ」
「お、それは奇遇だね。オレサマも同じこと思ってたよ。ま、何回か勧誘にくるから考えとけよ」
淡々と話しながら延寿はいつの間にか食べ終えていた皿にフォークを置き紙ナプキンで上品に口を拭く。横に置いていた帽子をさっとかぶり直し帰り支度を済ませ、店長が待機しているレジに向かう。言いたい事を言い終えたからなのかいつもは絡みに一度戻ってくる所今日は一度も振り返りもせず店を出て行った。嵐が過ぎ去った後のように静かな空間が戻ってきた。以前から突拍子もないことをやる人間だったが同い年で副社長になるとは。
「アイドル、ねぇ… 僕はこの生活に満足しているんだけど」
高校卒業間近、周りは進路だなんだ進学がなんだと騒ぐ中菊治は自分のやりたいことがわからなくなっていた。モデルという仕事は退屈しないし面白かったが進んでやりたかった事ではなかったしやる事がないからやっているだけに近かった。夢や目標、夢中になれるもの、やりたい事を持っていなかった菊治はそれを探す為様々なバイトや習い事に手を出し、今に至る。今の生活はとても充実していて楽しい。この生活を変えるつもりはこれっぽっちもなかった。ましてや辞めた事をもう一度やってみよう、という気にもなれなかった。アイドルはやったことがないが自分が笑顔を振りまいて歌う姿など想像するだけで笑えてくる。性に合わない。
「例のお客さん、帰られたんですか?」
食器を持ち厨房へ戻ると休憩に入りまかない(というなの失敗作)を食べていた天照に話しかけられる。天照も何度か延寿に遭遇した事があり菊治が鬱陶しがっているのを知っていた。
「あぁ、帰ったよ。本当凝りない…天照も捕まらないようにね、変なのに」
「あはは…気を付けます。でも友人なんでしょう?今日はいつもより長くお話されていましたけど…」
「ただの顔見知りだよ、友人というほどの仲じゃない。あー、アイドルやらないかってスカウトされた。断ったけどね」
「えっ!?…あの人何者なんですか…?同い年って言ってませんでしたっけ」
天照は大きいくりくりの目を見開いて驚き不思議そうな顔をして、おまけに食べていたまかないを口に運ぶ手も止まっている。
「変な奴だからね。俺なんかよりも天照の方がスカウトされてそうだけどね、そこらへんでは見ないくらい綺麗な顔してるし」
「え、…えと…まぁそれなりに声をかけられた事はありますけど…女性の方から声掛けられる事が多かったので逃げました…本当ダメで…」
「女性嫌いがそこまでいくと何があったのか逆に気になるよ」
今では接客もできるようになったが最初の頃は目に見えて女性に怯えてしまいオーダーを聞きに行けなかったこの後輩。きっと特定の一人二人という話ではないのだろうということは拒否反応から見て取れるがここまで苦手になった理由が非常に気になる。
「聞かないでください…普通に接客できるくらいにはやっとなれたんですよ一応」
「そうだね、どもらずにちゃんと会話できるようになったもんね」
「また菊治さんはそういう意地悪を言う…」
「僕なりの愛情表現だよ天照、年下の子は皆可愛いけど手を焼く子ほど可愛いっていうでしょ」
「確かに誰よりも面倒見てもらってますけどね…」
年下の子はころころ表情が変わってとても可愛い。先ほどまでの嫌な気分が吹き飛ぶような気さえする。ここまで話したところで覗きに来た店長に混んできたから二人とも来てー、と呼び出される。
「天照はゆっくり食べてていいよ、変人のせいで多めに休憩もらっちゃったし僕がやっておくから」
後輩に告げ早足でホールに戻る。昼食後のお腹が落ち着いた午後三時のおやつ時。ティータイムの女性や子供連れのお客様が多く来られる時間。店はディナーはせずに午後六時をラストオーダーとしているためこの後はあっという間に時間が過ぎていき今日も何事もなく一日を終えた。
明日の仕込みやシフトの確認をした後帰路につく。ふと今日を振り返った時最近やたら来る延寿のことが頭をチラついた。あの蛇はきっと通い始めた最初からスカウト目的だったのだろう。一度や二度の勧誘で折れないであろうことも予測され明日からはもっと面倒になりそうだと菊治は腹を括った。
次の日。案の定潮待延寿はやってきた。いつもは菊治の休憩時間に合わせてやってくるのだが今日はラストオーダーギリギリを狙ってきたのだろう。延寿は昼間よりも少なくなった店に入店しいつもの席に座る。いつもの珈琲と菊治をお願いします、とまるでメニューのように注文してくるのをキッチンで聞いていた菊治は頭からブラック珈琲をかけてやろうかと頭をよぎった。
美形を拝めて満足な店長に言われ渋々延寿の向いの席に座り腕を組みながら大きくため息をつく。
「…はぁ…こんな時間に何。スカウトの件は昨日断ったはずだけど。まだ僕に何か用なの?いい男ならこの店他にもいっぱいいるだろ」
「よぉ、菊治。いや~ね?お前相変わらず頑固だしどうするかなぁ~なんてオレサマも思っててサ。昨日の今日で口説きにきても折れないだろうし?とはいえオレサマにも時間ないし…って時にな」
延寿は自身のタブレットを軽く操作しながら説明を始める。口調はいつものふざけた調子であるものの目つきは真面目そのもので本格的に落としに来ているのだと感じ取った。かといって受ける気は菊治には全くなかった。菊治は黙ったまま説明を聞く事にする。
「昨日までは一菊治をスカウトした後ユニットかソロかで売り出すか決めるって方向で考えていたんだ」
「ふ~ん…(まだ承諾すらしてないんだけど)」
「…が。お前にそのやり方でスカウトしていたら絶対首を縦に振らないだろ?だからやり方を変えることにした。お前は絶対頷くとオレサマ確信してるんだよ菊治」
「へぇ、随分な自信だね。何、サンプロに何か根回しでもして弱みでも握った?僕別に弱みとかないから今更何晒してもらっても構わないけど」
「オレサマもアイドルになるって話したの覚えてるお前……。そんなやり方したところでお前言う事聞かないだろ」
「まあね。で?どうやって僕を釣るつもり?」
すると延寿はタブレットを取り出し菊治に見せる。青年2人の写真が並べて表示されている。少し赤みかかったピンク系の髪色に色合いの違うオレンジ系のオッドアイで少し目立つそばかすの可愛い系の青年と、長く少し外側にはねた白髪に金色に近い瞳を持つ長い睫毛のクール系の顔立ちの青年。
「その子たちは今所属が確定してる。あと一人今交渉中だけど多分入ることになるだろうね。で、お前にその3人と一緒にユニットやってほしいわけ」
「結構集まってるなら僕いらないんじゃないの。芸能界に夢見てる子なんてたくさんいそうだし。…ちなみにこのピンク髪の子年齢いくつ」
「17。ニヤけ面少しは隠せよ。オレサマたちの事務所のタレントは素人ひよっこの集まりな訳よ菊治くん。芸能界の右も左もわからずに入ってくる素人ちゃん。勿論スタッフとマネがバックアップもフォローもするとはいえ何も知らない子をぽーんと経験豊富な大手事務所アイドルたちとの仕事の取り合いに出させられると思う?いくら肝が据わっててもそんな大博打、オレサマは打たない」
「…そうだね。結構暗黙のルールみたいなのもあるし常識過ぎてわざわざ教えないようなこともあると思うよ」
「そこでお前だよ菊治。一度引退してるとはいえ芸歴は今活躍してるアイドルよりも長いし少しだけとはいえTVにも出演経験がある。なんだかんだフリプロにもエスプロにも行ったことがあり顔見知りもいる。当たり前だがさっき言った常識やタブーの類は一通りわかってる人間だ。事務所としてもユニットとしてもお前程適役はいないんだよ」
延寿が真面目な顔をして理由を語っている間、菊治はピンク髪の彼をじっと見つめ半分上の空だった。流すように話しを聞いている菊治を見て延寿はニッと笑みを浮かべる。視界に入った店長が菊治が珍しい表情をしているからか不思議そうな顔をしてこちらを見ていたが気にせず珈琲を一口飲み、カップを置いて再び話し始める。
「…で、菊治。今お前がずぅ~っと気持ち悪い目で見てる彼、今ならなんと同じユニットで肉眼で見る権利が得られるわけだけど。お前どうする?スカウト受ける?」
「いいよ」
あっさり。散々芸能界に入るつもりはないだの、今の生活に満足しているだのと言っていた人物がこの通り。延寿としては思った通りだったが想像以上に単純であっけなく、口説き落とすためのあれやそれやを半分以上出さずに終わってしまいガッカリしたという感情のほうが大きかった。当の菊治はまだ画像の彼をみつめている。
「お前本当わかりやすいくらい欲に誠実だな!?オレサマの苦労柚楽ちゃんの写真一枚で解決かよ…」
何を隠そう、という程でもないが菊治はかなりの年下好きであり基本的に年下というだけで可愛いと思っている。恋愛対象も必須事項として年下があげられている(※過去のインタビュー記事より)。そして特にタイプを見つけると構い倒したくなる性分である事を延寿は高校時代にたまたま知った。当時はメディアに露出していたのもあり一菊治としてのキャラがミステリアスに全振りされていた為それを見た際は妙に変態じみていてかなり引いた事を延寿は思い出す。かなり昔の記事にも年下好きと答えていたところを見るとその面はミステリアスという一面よりも前に存在していたのかもしれない。年下の女性より男性の方が好みが多いらしいというのは延寿が独自で調べた事だった為半信半疑だったが見事に性別を含めた外見のタイプも的中していたようだ。ラブかライクかは考えないでおくが今時珍しくもないしもしそうだとしても驚かないだろう。あの菊治ならありえなくもない。勿論、菊治をスカウトするために年下の彼をスカウトしたわけではなく本当にたまたまだったがラッキーと考えることにする。
一方菊治は久しぶりに出会う可愛い系男子に釘付けであった。年下は年下というだけで可愛いと常々思っている菊治だが、愛でる対象としての好きに出会うことは実はそんなに多くはない。それに小さく丸くて可愛い期間というのは男だとどうしても短い。男は誰でもかっこよくありたいと思う生き物だというのは菊治自身もそうであるため理解しているが、可愛いと言われ続けた少年たちは大体が"可愛い"をコンプレックスに捉え男らしさを目指し可愛らしさを捨ててしまう。故に、菊治でいうところの愛でる対象から外れていってしまうのだ。つい最近もデビュー当時から追っていたモデルの推し(男)が今までの爽やかなファッション誌を卒業しグラビア雑誌に移り鍛えて引き締まった体を披露していた。年下の成長を見守れる嬉しさはあるのだが、可愛い彼が好きだった者としては複雑な心境である。勿論中身も見ているがそれを含めても年下の"可愛い"を推しているのだ。推しが一人また一人と減るそんな中、新たな可愛いが飛び込んできたのだ。飛びつく以外菊治の頭には何もない。
「この子"ゆら"っていうんだ。ふふ、名前まで可愛いんだね。白髪の子も大人びた顔付きだけど多分年下でしょ?いくつ?あと候補のもう一人も」
「薬師寺柚楽、17歳。綾瀬彪、25歳。もう一人はまだ仮だから名前は伏せるけど今27歳で12月で28歳。お前は上から二番目」
「へぇ、20代後半多いんだね。大体アイドルって10代から20代前半にデビューしてるイメージだけど。僕としては好条件だけどね、一番上はまとめ役になりそうで面倒だしちょうどいい位置じゃない。延寿と一緒じゃないしね」
「うちの事務所は"訳アリ"さんもOKってのが売りだから。犯罪とかそういうの絡みじゃない限りは。元バンドマンでもいいし元医者でもいい。例え親がいなくて保証人欄が空白になったって本人のやる気とそれに見合ったものがあればチャンスはあるよ~ってね、書類上調整が大変にはなるけど」
「そうまでしてなりたいものなの?アイドルって」
「少なくともそういう子をオレサマ三人は見た。お前やオレサマみたいにドライなやつにはあまり理解できない話かもしれないけどサ」
「延寿はやりたい事しかありませぇ~んって感じだけどアイドルは違うの?」
「なりたかった訳でもやるつもりも最初はなかったサ。成り行きで。目立つのは嫌いじゃないけどね、オレサマはスカウトと社長代理の業務が割と楽しくて気に入ってるからサ」
延寿はゆっくりと珈琲を啜る。話に夢中でその存在を疎かにした代償として少し冷めてしまった珈琲に一瞬眉間に皺を寄せた。
「お前がこんな簡単に釣れるなら最初からこうするんだった、最初の説得が無駄になった」
「僕の性格の見通しが甘かったね、了承してしまったからには仕方なくお前に従ってあげるけど僕はどうすればいい訳?あと柚楽君の写真スマホに送っといて」
「本人の許可いるから無理」
「取りなよ許可」
「とりあえずまだ全員揃うまで時間がある。一番年上の彼の事情が落ち着くまでは動けない。それに姉妹事務所の上とも話さなきゃいけない案件だからその辺もな。面子は揃ったから一歩前進…という所になる」
「ふ~ん?じゃあ僕はまだここで働いてていいんだ。いつからか決まったら連絡寄越しなよ、一か月前に。僕この喫茶店では結構重宝されてたんだから。バイトリーダーの引継ぎもしなきゃだし」
菊治がふと後ろで片付けをしていた店長を見やると、静かな店内でよく響く二人の会話が筒抜けになっていたようで複雑な表情をしながらこちらを見ている。涙目に右手にはハンカチで今にもおよよよ…と泣き出しそうな雰囲気だ。辞める時にある意味一悶着起きそうだと覚悟した。延寿にも店長の様子が見えた様で"辞めるの大変そうだ事…"とでも言いたげな表情で視線を珈琲に無理やり戻している。
「…まぁ、さっきも言ったが今すぐどうこうという話では無い。数ヶ月先かもしれないし問題が起きれば半年後、1年…なんて事もあるかもしれない」
「…気の長い話になってくるね、それは」
「そうさせるつもりもないしそこまで待たされたらお前をもっかい落とす所からになりそうだからな」
「へぇ、よく分かってるね」
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