『憧れを持っていた』『夢だった』よく聞くそんな綺麗な理由でアイドルになろうとした訳じゃなかった。この業界に入ろうという覚悟で志す人はそういうものを持っていると思うけれど。自分の場合、一言でいうなら”見返す為””復讐”といったほうがしっくりする。憂さ晴らし、死ぬまでの暇つぶしというのもあったかもしれない。君と組む事になって色のない世界がいつの間にか変えられていて目的だった復讐がいなくなって『君』と『Nova』が俺のすべてになった。



これは公式サイトにも載っていないトップアイドルNovaの炬闇朔になるまでの数年の話。




「朔ちゃん最近はずいぶん大人しくなったね、最初の頃は大暴れしてたのに。もしかしてマンネリ化しちゃった?ならもう少し強く締めても朔ちゃんなら耐えられるよね?」
「っ!?ぐっ…ァ゛…ァ…!」
もう見飽きた憎たらしいその顔は先ほどまで締め続けていた首をより強く締めあげてきた。首から手を外そうと腕を掴み力を入れるがびくともしない。馬乗りされているせいで息ができない、苦しい、痛い。せめて上から退かせられればともがいて振り落とそうとするが眉一つ動かない。ダメだ、また何もできずに遊ばれているだけ。何十回何百回とされても慣れることはない、この痛みと苦しみと屈辱感。しかし、いくら苦しくとも痛くとも辛くとも『助けて』とはもう誰にも言わない。

誰も敵わない、コイツには。卒業が先か壊れるのが先か…どっちだろうな。そんな事を頭の片隅でぼんやりと考えながら今日も感情を殺していった。





進級するときというのは毎回期待と一緒に不安もついてくるもので中学に上がるときもそうだった。ほとんど同じメンバーだと知っていても不安が取れずモヤモヤした気持ち悪さが残る。進学先はそこそこ知名度のある中高一貫校。5年前に校舎を敷地内の別の場所へ立て直し設備が整えられたらしい。残しておけば何かに使えるから、とボロボロになった木造の旧校舎はまだ残っているらしい。怪談話もあるようで近づく人はあまりいないらしい。稀に怖いもの見たさで来る人はいるとかいないとか。そんな不気味な所にわざわざ行こうという人の気が知れない。不安を取り除こうと事前に知っていた情報を整理して思い出してみたが余計自身の不安を煽ってしまった。

小学校からの付き合いで一番仲のいい真琴と同じクラスである事を願いなんとかなるだろなんてふざけ笑いをしながら初登校。4月にふさわしい桜並木と真新しい制服を着た新一年生、少しむず痒さを感じながら校門を通り、張り出されたクラス分けの紙を見上げる。太陽の光が反射して少し眩しい。

「なぁ!朔は何組だった??俺3組!!」
「…俺1組。離れちゃったね…どうしよ俺、うまくやっていける自信ないや…」
どちらかというと昔から人付き合いが苦手な方だった。その場の環境に慣れるまで時間がかかってしまう。更に不安が増しソワソワと落ち着かない。
「あちゃぁ~…でもほら!二つ隣のクラスに俺いるし!いつでも会えるだろ~?帰りだって一緒に帰れるし!!そう不安がるなって~」
そう隣の友人は無理やり肩を組んでヒヒッと明るく笑う。下を向きながら頷く朔を見て真琴は閃いた顔をした。
「あ、わかった。俺と一緒じゃなくて寂しいんだろ~?寂しいんだろ~~?可愛いな朔は~~~!!」
とハイテンションな声色で言い朔の頭を乱暴にわしゃわしゃと撫でまわす。素直に寂しいよ、と顔を見て言うと真琴は目を見開いて数秒かたまった後口を開いた。
「励まそうとしたのになんでそういうとこだけ素直なんだよ…俺も寂しくなるんだけど???」
独り言のように呟くと拗ねてムスッとしまった。ごめんと謝りそろそろ行こうか、とお互いの自教室へ足を進めまたあとで、と言って分かれる。1組の教室に入るともう半分くらい席が埋まっていて元々顔見知りが多いからか初日からかなり賑やかだった。自分の席を見つけ出し座る。右から三列目の前から二番目。席について改めて周りを見渡してみると女子のほうは何組かもうグループができている。男子も大騒ぎしているのが何人か。徐々に騒がしさが増していく中、誰とも話さずつまらなそうに黒板の上にある時計を睨みつけている人物が前の席に座っていた。ココアのような色でクセっ毛の髪、座っているから詳しいことはわからないが華奢といわれる俺とは対照的にしっかりとした体つきで高身長。小学校のときに見たことがないその人物は中学から同じになったのだろう。同じクラスなんだし話してみようかな、…そう思ったのが間違いだった。
「ねぇ、君」
「…何」
「俺炬闇朔、席近いし挨拶。よろしくね」
不安を与えないように、そして自分の不安も感じ取らせないよう少し微笑み手を伸ばす。ココア髪の彼は暫く朔の顔を無表情でじっと見ていたがふっと笑いグっと顔を近づけてくる。
「ふーん……いいよ、俺の名前教えてやっても。葛葉美屑。よろしくな、さーくちゃん♡」
先ほど伸ばした手を強すぎるくらいの力で握られる。
「えっと葛葉くん?俺女の子じゃないよ?」
「わかってる、可愛いからいいじゃん朔ちゃん。あと美屑でいいよ」
「…好きに呼んでもらって構わないけど…わかった美屑くん」
そういうと彼は先ほどのつまらなそうな顔ではなく、楽しそうなうきうきしたような浮かれた顔をして再び正面を向いた。何かを呟いたように聞こえたが気にもせず自分の席に着く。浮かれた彼の顔を見て彼も不安だったのかもしれないなんて思っていた。それは間違いであったと今なら断言できるのだが。聞き漏らす様な事なく早く離れるべきだった。この葛葉美屑から。

「『見 つ け た 、 新 し い 可 愛 い 玩 具 ♡』」


帰り道。真琴と待ち合わせをし今日の事をお互いに話しながら下校する。3組は1組とは違い静かでまるで葬式だったらしい。静かな空気に耐えられなかった友人は片っ端から話しかけて無理やり空気を壊してやったと豪快に笑いながら楽しそうに語った。
「真琴すごいね?俺にはできないや…」
「えぇ?そうか?だって折角の初登校だぜ?初日だぜ?不安を引きずるみたいなスタートは嫌じゃんか!」
この友人の凄いところはこういう所でリーダーシップがありどこまでもポジティブで人の中心になれる器がある。自分にはないものを持ってる真琴を尊敬しているし羨ましかった。自慢の親友だと思っていた。
「朔は?不安だ不安だ~って言ってたけどどうだったんだよ??」
「うん、1人友達…って言っていいのかまだ分からないけど挨拶したよ」
「おぉ!朔頑張ったじゃ~ん!自分でいくの得意じゃないのに!!進歩進歩♪よしよ~し♪」
そう言うと真琴は朔の頭をこれでもかと撫で回す。結んでいた髪がボサボサになり髪がするっと髪留めから抜けていく感覚がした。
「ちょっと!髪解ける!!」
「あ、わり」
案の定髪留めは地面に落ち結んでいた髪が解けた。全く、と言った後落ちた髪留めを拾い髪を結い直す。少し長めで癖のない黒に近い紺色の髪、中性的な顔立ちと低い身長。声変わりがきていない男にしては高い声。朔は要所要所に幼さが残り男らしくないからか女の子と勘違いされ続ける事が多々あった。しかしこの間まで小学生だったのだ、成長が遅い男子は女子よりも身長も低く幼く見られたりなんて事は珍しくもない。むしろ男子は中学生からが成長期の始まりとよく聞いたのもあってか朔自身もさほど気にしてはいなかった。
「なぁ、なんで朔髪切らないんだ?邪魔じゃねぇの?」
「え?…あんまり考えたことない…なんとなく…?」
「ふぅーん?そうやってるとそこらの女子より可愛いかもな」
「急になに!!?」
「いや…思ったこと言っただけだけど…あ!スカートとか履いてみねぇ?」
「バカ、そんな趣味ないよ」
少し真琴の耳が赤くなっていたのが見えたが気付かないフリをしていつも通りを装った。その妙な会話の後は明日のレクリエーションの事や部活の事、女子の話など学生らしい会話をしながら日が沈み始めた帰路を再び歩き始め各々の家へと帰った。
「ただいま」
二階建て一軒家。両親が仕事の都合で急遽海外に長期滞在することになってしまい中学から一人暮らしになった。入学式に行けないのが残念と昨日電話で嘆いていたが仕事なら仕方がないということはわかっている。それに寂しいなんてこれっぽっちも思っていない。高校に上がるときになったらアパートで独り暮らしさせてくれと言ってある。人並みに両親からは愛され、何不自由なく生活出来、家庭内の問題は何一つなかったが俺はこの家が、家族が嫌いだった。何が原因というのはわかっていないけれど。一刻も早く家を出たいと早い段階で思っていた。実質の一人暮らしを始めて1か月になるが、家の中は荒れることなくむしろ以前よりも綺麗になった。『俺の城』だと思ったら浮かれてしまってつい掃除しすぎてしまったのだ。
風呂、夕食、明日の準備などすべて終わらせてから自分のベッドに飛び込む。一人のほうが断然落ち着く。部屋の電気を消しカーテンが空いている窓を見ると綺麗に星が見えていた。俺の大好きな星空、どの星がなんていう名前で…なんて、詳しいことはわからないけど。また明日も綺麗に見れたら…そう思いながら眺めているうちにいつの間にか眠りに落ちていた。…もっと、見ていればよかった。


「おはよう」
「ん、おはよ朔ちゃん」
次の日も真琴と一緒に登校し教室前で別れた。先に来ていた美屑君に挨拶し席に着く。今日は午前中のレクリエーションだけでお昼には放課だった。そこで登校中、真琴と買い物に行く約束をし俺はとても気分よく1日をスタートした。レクリエーションは仲間づくりゲームやクラス対抗クイズ大会などよくあるもので。くじ引きで班分けをするゲームが多かった。
「あれ、朔ちゃんまた班一緒じゃん」
「ほんとだ、また一緒だ」
偶然にも2回連続美屑君と同じ班でおかしくなって笑いかけた。すると美屑君もおかしいよなと俺につられて明るく笑う。まだニコニコ笑ったところを見たことがなかったからちょっとしたことだが凄く嬉しかった。…でも笑えたのは2回目までで。その後班に分かれて行うゲームは3回あったのだが、その全ての班が美屑君と同じだったのだ。流石に”おかしい”と思ったが美屑君は明るい笑顔で笑いかけてくれる。偶然…なのだろうか。最後の班は真琴も一緒でたまたま隣に座った。
「あ、真琴!4班?やったぁ一緒!!」
「朔~!ちょっと急に抱き着くなビックリするじゃん!」
一緒になった嬉しさでついはしゃいで周りを気にせず真琴に抱き着いてしまった。その後も真琴と暫く話し込んでいた。
だから、気付かなかった。美屑君が真琴を睨みつけている事に。

なんだかんだレクリエーションが終わり帰り支度をしていると
「朔ちゃん今日の午後暇?俺とどっかいかない?アイスとかたべいこーぜ」
「ごめんね、今日先約があっていけないや…。また今度誘ってくれると嬉しいな」
「そっか、残念。……先約ってさっきの…」
「うん、3組の真琴だよ。じゃあ美屑君また明日!」
そう言って俺は急いで教室を出、真琴と合流し楽しい午後を過ごした。大きなショッピングモールの文房具売り場で学校の道具を買ったり洋服を見たり。ふざけて真琴がスカートを持ってきたりもした。履いてきたズボンを取られて、スカートを履くまで返さないと言われ渋々着た。それをたまたま店員さんに発見され注意をされると思いきや『彼女さんですか?そのスカートよくお似合いです!色違いもございますが試されますか?』と言われてしまい気まずくなった。とても俺男ですなんて言えるわけもなく…大人しく店員さんに勧められたスカート、ワンピースはすべて着た……流石に照れてしまってもう店出ようと目線で訴える為真琴を見ると、少し頬を赤らめてる真琴がいて余計恥ずかしくなった。結局また今度といってちゃんと店を出られたのだが店を出てすぐおかしくなり二人で大笑いした。

「朔なんでお前あんなに似合うわけ!!?むしろずっとスカート履いてろよ!」
「やだよ!俺もまさかあんなことになるとは思わなかったし!!」
涙が出るくらい笑った。本当に腹がよじれて切れるんじゃないかというくらいで久しぶりにあんなに笑ったかもしれない。その後俺は夕飯の買い物があるからと言って真琴と別れた。荷物持ちしようか?彼氏だから~と言ってきたがばーか!と笑って手を振り俺はスーパーに向かった。今日も一日面白かったと満足しながら家に帰り今日も一日が終わった。

翌日の朝。待ち合わせ場所。真琴が変だった。変というのは落ち込んでいるとか元気がないというのではなく…昨日まではしていなかったものが付けている。右足にギブスと松葉杖。額の大きな絆創膏。ほかにも擦り傷が何か所か。
「真琴それどうしたの!!?」
「…昨日階段から落ちた」
「どこの…何段目くらいから…?」
「帰るとき長い階段通るだろ?あそこ。…たぶん上から数えて6段目くらいのところから一番下までゴロゴロっと…」
自分でも顔が青ざめたのが分かった。真琴がこんな大怪我をしたところは見たことは今まで一度もない。俺よりしっかりしているしドジでもない真琴が。
「真琴が足滑らせるなんて珍しいね…?」
「滑らせてない。…誰かに押された。顔も服もよく見れなかったけどでかいやつ…」
「えっ…」
言葉は出なかった。暫く俺は動けず真琴に『遅刻するから行くぞ、こけそうになったら支えてくれよ』と言われてやっと体が動く。その後学校に着くまで何も言葉を交わすことはなかった。真琴が突き落とされた。誰に?あの真琴が?脳内はそればかりを考えていた。真琴と別れて教室。真琴のことがショックでクラスメイトに挨拶をされたのにも気付かず椅子に座る。俺が断らなければ真琴は大怪我をせずに済んだかもしれないと一度考え始めてしまったら駄目だった。我慢できず俺は声を殺しながら泣き出してしまった。
「朔ちゃん…?どうした…?」
前に座っていた美屑君が俺の異変に気付いて声を掛ける。声を掛けられても泣き続けてまともに話せない俺を落ち着かせるために横に来て背中をさすってくれる。暫くすると話せるくらいまで落ち着いた。
「…っ…ありがと…ごめん…」
「気にすんな。で、どうしたって?」
「真琴が怪我して…俺が近くにいればあんな怪我しなくて済んだのにと思って…それで…」
話したらまたボロボロ涙が出てきてしまって。美屑君は俺の背中をまたさすってくれた。しかしそれ以外は何もなく視線だけ感じる。何か違和感を感じ顔を上げ美屑君を見る。笑っていた。こちらを安心させようとかそういうものではない。今美屑君のみせる”それ”は楽しいときに見せるあの笑顔そのもので。今、この状況で何よりもおかしいもので。
「っ…なんで…笑ってるの…?」
「…邪魔な奴に退場してもらうだけのつもりだったんだけど、予想以上にいいもの見せてもらって満足してる」
「…え……?」
「俺の朔ちゃんに近づく邪魔虫をさっさと退場させたかったんだけど片足だけだったから機嫌悪かったんだ、両足折るつもりで突き落としたのに。でも朔ちゃんのその顔みたら満足しちゃった、もっと見たいなそれ」
頭が追い付かない。両足を折る?突き落とす?俺の表情で満足…?何度考えても訳が分からない。
「…ま、真琴を押したの…美屑君…っ…?なんでそんなこと…」
「そう、俺。理由は今いったじゃん。……朔ちゃん、今日授業さぼっちゃおうか。授業より面白いこと思いついちゃった」
先ほどの不気味な笑顔を崩すことなく涙で濡れた俺の腕を掴み無理やり立たせた。嫌な予感がした。
「っ!!やだ!!離せ!!!」
クラスの全員が振り返るほどの大声を上げ抵抗し腕を振り払った。何が何でも連れていかれてはいけないと本能的に感じた。反抗的になった俺の目を見た美屑君は笑っていた口元をさらに不気味に吊り上げた。
「ふーん?そ。」
その後一瞬何が起こったかわからなかった。
顔を、殴られた。グーで。
急に殴られた衝撃でよろつき机に突っ込む。周りにいた女子からひっ、という声が聞こえた気がした。じわじわと痛みが左頬に広がる。痛い。血の味がほんのりしている…初めて殴られた。
「さぁて、いくよ朔ちゃん。お前ら机直しとけよー。あ、この事チクッてみろ?学校来れねぇ体にしてやるから」
そういうと俺の手首辺りを再び強い力で掴み無理やり立たせ、教室の扉を開け強制的に俺を連れていく。指が食い込みかなり痛い、何回も抵抗するが力があまりにも違いすぎるのか全然抵抗にならない。どんどんどこかへ連れていかれる。止めに入ってくれる人は誰もいなかった。皆怖くて動けなかったのだ。俺も、怖い。遠くから聞こえた声…『はぁー俺らが適当に誤魔化しとくからごゆっくりどーぞー』。その言葉に美屑君が小さく『わかってんじゃん』と呟いた。先日まで笑顔で話をしていたのに。なんで。
「離せ…ッ!!痛い!!!痛いってば!!!離せ!!」
「朔ちゃんもう少しで着くからもうちょっと大人しくしてね?」
更に腕を掴む力を強くされ腕がギリギリと締められる。俺が痛がるよう爪を鋭く立てながら締めているようだ。体が自分の意志と反して防衛しようとするせいで何もできなくなってしまう。
「うん、ついたよ朔ちゃん」
ほんの少しだけ腕の痛みが緩み顔を上げる。必死に抵抗していたのと痛さで気付かなかったが、連れていかれたのはもう使われていない”木造の旧校舎”だった。先ほどの恐怖に加えて違う恐怖も加わり俺の体は言うことを聞いてくれなくなった。動かない。逃げたいのに自分で足を動かすことができない。美屑君は俺のことなんか気にせずどんどん暗く古い旧校舎の中へ足を進める。強張って固まってしまった体は引っ張られるままついていくことしかできなかった。まだ朝だというのに暗く外よりも空気がひんやりしてるように感じる。古くなった木製の床板がギシギシと音を立て、ガラスが廊下に散らばっている。窓が割れているところがいくつもあった。軋む階段を上り二階の端の教室の前へ。扉を乱暴に開けられその中に放り投げられる。俺は強い力に負け床に倒れこむ。バダンッと大きな音を立て扉を閉められると自然に肩が跳ね、扉の前に立つ彼を見上げる。彼の目に映る俺の顔は恐怖に怯えた小動物そのものだった。
「やっぱり朔ちゃんのその顔…いいな。笑ってるのも可愛いけど笑った顔は他の奴でも見れちゃうし?でもその顔は俺にしかまだ見せてないもんね?」
彼は恐怖で動けない俺の胸倉を掴み顔を近づける。嫌でも目があってしまう。怖い。ずっと笑って、面白がって、楽しんでいる目をしている彼が。
「今日一日俺と沢山”遊ぼう”ね。ここなら朔ちゃんの大好きな真琴君も来ないから邪魔されないよ」

その後は言葉通り一日中”遊ばれた”。何度も逃げようと試みたし、そのうちの1回は廊下まで出ることができた。しかしうまくいったのはそこまで。連れてこられたときは気づかなかったがかなりこの旧校舎は広く迷路のような造りになっていた。初めて来た俺がすんなり出入り口までたどり着けるわけもなく。足の長さも体力も彼のほうが上ですぐに追いつかれてしまいまた顔を殴られる。よろよろと床に座り込んでしまえばあとは連れていかれるだけ。最初は馬乗りされてずっと顔を触られていた。自由だった手で必死に抵抗する。
「よく見たいのに邪魔しないで」
一度顔を触るのをやめ彼は自身の膝と床の間に俺の両手を入れ込み上体を少し上げ思い切り体重をかけた。手が床と膝にゴリゴリと押し潰され痛みで自然と声と涙が出る。手も足も自由に動かせなかったが顔を触られるたび首を振って目を合わせないように抵抗を続けた。何回か続けたら諦めたのか俺の手を解放。終わったと安心したのもつかの間、彼は躊躇することなく俺の首に両手をかけ絞めてきた。大人しくしてってば、そう言う彼は抵抗する俺を力でねじ伏せるのが相当楽しいらしくその顔は今までで一番生き生きしていた。苦しくて痛くて必死に自由になった手で剥がそうとするが一方的にねじ伏せられる。微妙な力加減で痛みと苦しさをコントロールされ意識を飛ばすこともできなかった。
そこでやっと気づいた。コイツ常習犯だ、根っからのいじめっ子…すでにいじめの域を超えているのだが。登校数日目にして旧校舎の構造を把握しているし最初からその目的で使用するために調べておいたのだろう。迷わず彼がこの教室を選んだのは他の教室よりも暗く本校舎から見えない唯一の場所だからだろうと予想がついた。きっとクラスにまだ何人かコイツの味方がいる。協力的な味方が。

長い時間表情を堪能された。抵抗するのも疲れて大人しくなった俺を確認した彼は首から手を放し俺を見下げた。凄く幸せそうな気持悪い顔で。そのあとも終わることなく遊ばれた。ひたすら殴られて絞められて蹴られた。加減はどれも的確で骨を折られるということはなく”痛み”と”苦痛”だけを感じるギリギリのライン。体は痛みで動かないが脳だけはフル回転で冷静に分析をしていた。

何時間経ったのだろう、そう思い古くなった窓から外を見れば空はオレンジ色と暗い青に染まっており既に大半の生徒が下校し終わっていた。
一日中好きに遊ばれた俺の体には大量の青紫色の痣が浮き出ていた。顔にも腕にも足にも。多分腹や背中も。彼は俺を世にいうお姫様抱っこで旧校舎の外まで連れていき外壁に寄り掛からせる。すっかり大人しくなった俺の顔をじっと見て満足そうに笑っていた。横には美屑君と俺の鞄。コイツの味方が気を利かせて置いて帰ったのだろう。
「ふふ、可愛い…♡ここからは自分で帰れるでしょ?…朔ちゃんのパパママ、海外なんだって?よかったね痣見られなくて済むじゃん」
彼はそう言いながら俺の頭を優しく撫でる。ゾッとした。真琴にも誰にも言っていないのに。そんなことまで調べ上げられていた。彼と知り合ったのはほんの数日前なのに。コイツが気持ち悪くて吐きそうになった。胃に何も入っていないから吐けるものなんてないのだけれど。”じゃあまた。明日も仲良く遊ぼうね”そういうと俺を置いて軽やかな足取りで帰っていった。暫く俺は動けず座り込んだまま虚ろな目で遠くなっていく彼を見つめていた。


ー…あれからもう3年。中学3年生の終わり…3年の月日が経っても未だに放課後アイツに遊ばれている。毎回彼に声を掛けられる度体が震え出す。何回も何回も繰り返し人形遊びをする子供…子供が美屑でボロボロになるまで乱暴に扱われる人形が俺、自分をそう当てはめて考えるようになっていた。その頃には美屑の取り巻きも加わり”遊ぶ”バリエーションもかなり増えた。水を掛けられるのは日常、体操着・制服を切り刻まれるのも日常、首を絞められるのも日常。毎日続けられる暴力のせいで体中の痣が消えることはなかった。特に首の痣。抵抗する気力もなくなり葛葉美屑がほしがる反応だけをするようになった。抵抗をやめ、美屑の人形に成り下がった。言葉数も減らし行動で美屑の人形であることを示した。逆らうのは利口じゃないと気付いたから。人形になってから美屑は多少優しくなった、仲良くなった最初の頃のように。やり過ぎる取り巻きを蹴り上げる光景を何回か見ることもできた。遊ばれ続けてはいるものの勉学の面では問題なく成績上位はキープできていた。勉強にストレスをぶつけていたのもあるが。
入学してから約3年経ち変わったことといえば、ほんの少し俺の身長が伸びた。165㎝もなかった俺の身長は170手前にまでなった。下駄箱に手紙…ラブレターが入っている回数も増えた気がする。ちゃんと毎回読んでお断りしている。面倒だけれど。俺の何を見てそんな感情が生まれるのか全く理解できなかった。きっと外見しか見ていないのだろう。
それと、大好きだった夜空を見ることができなくなった。夜の散歩も狭い空間も…暗い無音な部屋も耐えられない。ロッカーに閉じ込められ階段から突き落とされたり体育倉庫に一晩中閉じ込められた事がきっかけだ。手足を縛られて身動きがとれない状態で閉じ込められ放置。何処から鳴っているのかわからない物音。近くで聞こえる金属がぶつかり合う衝撃音。その記憶がフラッシュバックしパニックを起こしてしまう。俺はすっかり閉所・暗所恐怖症になってしまった。もう星空を綺麗とは言えない。
親友”だった”守野真琴とは縁を切った。一度だけ旧校舎に連れていかれるところを見られたのだ。足の骨折が治るまでは適当に誤魔化して会わないようにしていたから、久しぶりに見た怖がりの俺が旧校舎に向かうのが気になったんだろう。こっそり後をつけて中を見ていたんだと思う。痣だらけになって殴られて首を絞められて床に横たわる俺を。真琴の存在に俺だけが気付いて小声で『助けて』と言った。真琴ならきっと助けてくれる。そう期待して。でも。
真琴は俺に『ごめん』と言ってそのまま美屑に気付かれないように本校舎に戻っていった。
その瞬間今まで必死に守り続けていた何かが俺の中で壊れた。親友だと思っていた人物に裏切られた。

知っていた。認めたくなかった。皆自分が一番可愛くて大事だということ。友達なんて所詮自分がうまく生きていくためのおまけでしかない。真琴は違うと信じていた。信じたかった。誰にも期待なんてしてはいけないのだと真琴のおかげで気付かされた。自分でなんとかしなければ。他人に頼っても自分が傷つくだけ…友人なんていらない。助けてなんて二度と言わない。
様々な思いが一気に飛び出してきた。見たくなかった自分の本心。隠していた黒い部分。今まで一度も頭に浮かんでこなかった”復讐”の二文字が顔を出す。非力な俺は何もできない。だから、今は耐えて耐えて耐えて耐えてその時になったら
『こいつら全員社会的に潰してやる』

俺の目標は復讐になった。


【変化】

高校に進学し3年になった。学年が上がる度クラス替えをするのだが幸いアイツと一緒になったのは中1の一回だけ。中1の頃は常に気を張っていなければならなかったが今は放課後だけでいい。そう思うと中1が一番キツかったのかもしれない。今も恐怖心は消えていないし辛いのには変わりないが。高校に上がり更に身長が180㎝になった俺は美屑やその取り巻きよりもでかくなり、取り巻きのターゲットから外れた。葛葉美屑だけは変わらず俺のままだったが以前より遊ばれる回数が減り今まで消えることがなかった痣はうっすら残っているものの消えつつある。約6年間いじめ抜かれたが結局アイツが俺で遊ぶ理由がわからなかった。


真琴と廊下ですれ違う事があるが後ろめたさからかそそくさと逃げるように自教室に戻っていく。もうどうだっていいのに。卒業すれば赤の他人なのだから。…そう、気付けば卒業。俺はこの時の為に耐え続けた。社会的に潰すために俺はずっと、この時期が来るのを待っていた。ずっと撮りためていたいじめの証拠写真、これを取り巻きの進路先に匿名で送りつける。取り巻き全員の進路はこれで潰した。進学できず仕方なく就職にした取り巻きの希望の職場にも送り付け徹底的に潰していった。俺に関わったいじめっ子は底辺の進路先しか無くなった。嘆く取り巻きの声を聞くのはいい気分だったがそう思えたのは一瞬で。『まだ足りない』そう思っている自分が確かに存在した。主犯の美屑に何もできていないというのもあるだろうが。美屑は俺に対してしか手を出していなかった為写真が撮れなかったのである。俺がやったとばれてしまえば復讐は終わる、リスクを減らすため美屑はあきらめるしかなかった。誰よりも復讐したい相手だが仕方ない。
俺は最後の封筒をポストに投函し帰宅、明日の卒業式に備えた。
卒業式当日。卒業式は何事もなくスムーズに事が進み無事終わった。泣き出す同級生の声や写真を撮り合う賑やかな声が教室や廊下に響いている。俺はすぐに荷物と卒業証書をまとめ生徒玄関に向かう。式が終わってすぐに来たからだろう、他の生徒は誰もおらず玄関に来たのは俺一人だけだった。4年生大学へ進学が決まり、大学近くのアパートに引っ越す事になった。一刻も早くここから立ち去りたい、心からそう思っていた。早く帰って荷造りをしなければ…そう考えていた時俺を呼ぶ懐かしい声が廊下に響く。
「朔っっ!!!」
振り向き確認をするとそこには守野真琴。走って来たらしく汗だくで息も切らしている。息を整えゆっくり俺の方へ歩きそして正面に立った。彼もあの時より身長が伸びたが俺よりも数センチ低い。以前は俺の方が10㎝以上も低く下から眺めることが多かったからか上から彼を見るのは新鮮だった。彼もそう感じたのか少し驚いたような顔をしている。怪我をしていない状態で並んで立つのは一緒にショッピングモールへ行ったあの日以来。
「…身長…かなり伸びたな」
「…まぁね。180越えたよ。…で、用は何?」
冷たく突き放すような俺の言葉に真琴は一瞬目を見開いて驚き傷ついたような顔をしたがすぐに真剣な顔で俺の目を真っ直ぐ見た。
「あの時は何もできなくてごめん」
俺に深々頭を下げてきた。
「ずっと…逃げたことに後悔してた。朔は俺を巻き込まないように…俺と会わないように、一人で耐えてたのに…俺はお前を置いて逃げた。…お前と向き合うことが怖くて、こんなに遅くなって…本当にごめん」
頭を下げたままごめんと何回も繰り返す。一通り言いたいことを言い終えたのか俺からの返事を待っている。真琴の体が少し震えているように見えた。
「真琴、俺は真琴を信じてたよ。…あの時までは」
そう俺が言うと真琴は顔をゆっくり上げ俺の目を再び真っ直ぐ見る。
「もう全部遅いよ真琴、俺はもうお前を信じられない。友人とは思えない。」
自分でも内心驚いていた。こんなに冷たく暗い声が出るのかと。俺がどれだけショックを受け絶望し失望したのかその全てを声が表していた。真琴は俺の言葉を聞くと手を強く握り顔を歪め下を向き、そうだよなと一言呟いた。俺はそのまま話も動きもしなくなった真琴に背を向け学校の外へ出た。…せめて、あの後すぐ今のように言ってくれていたら…何度殴られようが首を絞められようがまだ笑うことが出来たかもしれない。…俺はまだ君を親友と呼べていたかもしれない。笑顔も消え誰も信じられなくなった俺にはもう全てが遅すぎて。ただのうわべだけの言葉にしか聞こえなくて。
「もう戻れないよ真琴。さよなら」
聞こえることはないさよならを伝え再び歩き出す。最後の下校を終えすぐに自宅の荷造りを開始した。テレビの音量を上げ部屋にバラエティ番組の賑やかな声を響かせてからいらなくなった制服脱ぎゴミ袋に突っ込む。不要になった教科書と今までのアルバムも全て縛り玄関に置く。今後写真を見て過去の自分を振り返るんてことはしないだろう。大学に進んだとしても心から友達と呼べる存在をつくるつもりもない。もう純粋な人付き合いはできないし、恐怖症が治ることもないだろう。

無意識に思い出される6年間。やはりまだ”復讐”が足りなくて。まだまだ潰したりなくて。俺を狂わせた連中が許せなくて。憎くて。自分の狂った思考にハッとする。…6年間だもん、俺はもう心の底から人と笑い合うことはできないんだろうな、そう思った瞬間ぼろぼろ涙があふれてきて。その涙が辛さが思い出されたからか憎しみからか理由はわからなかった。


【きっかけ】

無事引っ越しを済ませ大学生活を送り始めた。人と多く関わらず必要な単位だけを取る日々。今日もそんな一日を終え帰宅するところだった。ふと掲示板に張り出されていた一枚のポスターが目に留まる。『フリプロ芸能オーディション』…こんなキラキラしたもの俺には無縁だな、そう思いすぐ目を逸らそうとしたが目はポスターを見つめたままで。気付いた時には引き出しに入っていた応募用紙を乱暴に取り鞄に突っ込んで持ち帰っていた。帰宅後用紙に必要事項を書き込む。

記入中何故持ち帰ってきてしまったのか考えてみた。人間不信で人に会うのも話すのも嫌いだがこれに合格してテレビに出られるようになればあいつらを見下せる、そんな気持ちが少しだけあった…のだと思う。何らかの形でアイツらを再び潰すことができる可能性があるのなら。きっと無意識のうちに頭がそう働いたのだとそう思うことにした。そんな理由でポストに投函した。自分で言うのはなんだが高校時代事情を知らない下級生からかなりの数ラブレターを貰っていたし顔は悪くないと思う。落ちたら落ちたでそれでいい。

思い付きで応募したがそのままスムーズに書類選考、技術選考(?)、二次面接を通り最終面接。残ったのは俺ともう一人。二次面接のとき挨拶をしたが『城崎晄』というらしい。綺麗な白髪にピンクのインカラーで泣き黒子が特徴的。常に笑顔でいかにもアイドルっぽい感じ。

「僕は城崎晄。君は?」
「…炬闇朔です」
「炬闇くんか。残れれば最終だね、お互い頑張ろうね」

最初に言葉を交わしたとき、何ヘラヘラ笑ってるんだこの人と思った。最初に言葉を交わした以降すれ違うたびに話しかけてくるし…鬱陶しい俺が苦手なタイプ。最終面接の殺風景な控室に入り周りを見渡す。他に誰が残ったのかと思えば…俺と正反対であろうこの人で。この人か俺かどちらかが落ちてどちらかが夢を掴む…(俺は夢ではないけれど)。世間が求めているアイドルは確実に目の前にいるこの人だろう。この人が受かることは誰がどう見ても一目瞭然なのに何故俺まで呼び出されたのか…直接不合格を伝える為か?そんな面倒な事に時間を割く事務所とは思えないが。

「二人しかいないんですか?」
「…そう、みたいだね…どういうことなんだろう?」

時間を過ぎても人が来ないことに不安を持ち始めた瞬間、扉が大きな音を立て勢いよく開きスーツ姿の男性が転びかけながら入室。

「うわっとぉ!!?あぶな…はぁ…あっすみません、お待たせしました。僕のほうから説明いたします」

かなり騒がしい登場をしたあわあわと落ち着きのない彼は面接官にはとても見えない。空気のもれるような変な音がし、隣を見ると城崎晄が口を抑えぷるぷる肩を震わせている。…笑ってる。今ので笑えるなんてお気楽な奴、といつも他人にするのと同じように見下し正面に立つ彼の方を再び向いた。

「す、すみません…面白くて」
「あーいえいえ大丈夫です…好きなだけ笑ってください。…お二人とも緊張はしていないようですね、では本題に入らせていただきます」

城崎晄が落ち着いたのを見て彼は持っていた書類を配り目を通すようにと促す。その紙には『契約書』と書かれていた。

「え、これって…」
「はい、この事務所の契約書になります。お二人とも合格です、おめでとうございます」

目の前の彼は俺たちに満面の笑みを向ける。笑顔が眩しくて辛い。嬉しいとか喜びとかそういう感情は浮かばず、へー受かったんだと他人事。かなり失礼な反応だったと思う。何十人も受けたオーディションに合格したのに何も感じなかった。

「ありがとうございます…!炬闇くんもおめでとう!!やったねっ!!!」
「…どうも。城崎さんもおめでとうございます」
「おや、二人とも話をできる仲ではあるんですね。よかったです。まだ話は終わっていないので座っていただいても?」
「…話?何ですか」
「はい、お二人には同じユニット『Nova』で活動していただきます。」
「えっ?このオーディションってソロの…」
「はい、事務所側もソロで活動できるよう募集をかけています。ですが…その……上の指示なので詳しくは僕も知らないのですがお二人がユニットで合格…という事になりまして…」
「…別に構いませんよ俺は。城崎さんが嫌なら落としてもらっても構いません」
「…ユニットを組んだ後ソロで活動することも不可能ではないですよね?」
「いつになるかはお答えできませんが可能だと思います」
「…うん、それなら。」
「では先ほどお渡しした書類に目を通した後記入をお願いいたします。」

俺もソロだと思っていたから驚きはしたがソロだろうがユニットだろうがどうでもいい。俺にとってはただの踏み台でしかない。契約書に記入を終え提出すると男性は明日詳細が説明される事、事務所に来る時間などある程度ざっくりと話すと部屋から出て行った。再び静かな部屋に戻る。すると隣から手を差し出された。

「急で吃驚したけど…改めてこれからよろしくね」
「…同じユニットで活動するというだけで貴方と仲良くする気、ありませんから。失礼します」

キラキラした笑顔を向ける彼をじっと見た後、手を取ることなく俺は部屋を出た。所詮ビジネスパートナー…そう思い彼を突き放す。あの笑顔が崩れたのかどうなのかは確認しなかった。


その後はレッスンやアイドルについての勉強などなにかと忙しかった。俺たち以外にもスカウト枠がいるようで『御器谷椿』という人物とも顔を合わせた。物静かで感情もあまり出さず俺と似たようなタイプで結構不愛想。俺と同期なのは城崎さん、御器谷さんの2人らしい。最初に契約書を持ってきた彼はマネージャーではなく事務所の新入社員でかなり緊張していたんだとか。顔合わせの時発覚したが城崎さんは俺より2つ年上、御器谷さんは1つ下だったらしい。

レッスンにも慣れた頃、城崎さんに食事に誘われることが多くなったがすべて断っていた。レッスンが終わる時間は一定ではなくその日は特に遅い時間だった。一日中同じレッスンをしていた城崎さんにエレベーター前の廊下で話しかけられる。

「炬闇くん、今日こそ一緒にご飯行かない?」
「行きません、帰ります」
「そっか…あ、僕も乗るよ」
「…そうですか」

同じエレベーターに乗りこむ。普段は階段を利用するのだが階段までの廊下の電気が消されていた為仕方なくエレベーターで一階に向かう。狭いところも嫌だが暗いところの方がパニックになりやすく耐えられない。遅い時間なのもあり事務所内に残っている人も少なく乗ってくる人もいなくて二人だけ。静かだった空間で城崎さんが口を開く。

「…炬闇くんはなんでアイドルになりたいって思ったの?」
「急になんですか、答えませんよ」
「聞かせてよ君の事」
「仲良くするつもりはありません」
「…僕は仲良くしたいな」
嫌です、そう言おうとした瞬間エレベーターが途中でガコンッと動きを止め電気が落ちた。
「何・・・!?まだ1階じゃないのに……?閉じ込められた?」
城崎さんがドアを叩き助けを呼ぶ。真っ暗で狭い箱の中、城崎さんの声だけが反響する。ロッカーに閉じ込められたあの時の俺の声みたいに。扉はあるのに開かなくて、狭くて、息苦しくて、怖くて。
「…ッ!はっ…ァ…ひっ…ッッ…ぅ…」
呼吸が乱れ両腕で自分を抱きしめながらその場に座り込む。暗くなった狭いエレベーターと閉じ込められたロッカーが重なり俺はフラッシュバックを起こした。パニックになった俺は鞄に入っている薬の事を考えることもできず必死に息をした。体の震えと涙が止まらない。
「炬闇くん!!?大丈夫!?」
「はっ…はぁっ…ぅぅ…ッ…はぁッ…」
「…大丈夫…大丈夫だからね…」
暗闇に目が慣れた城崎さんは俺の異変に気付き近くに寄る。過呼吸を起こしかけていた俺を支え背中をさすり続けてくれた。大丈夫大丈夫、と言いながらずっと。エレベーターは10分程で電気が付き何事もなかったようにそのまま一階まで下りた。電気が付いた後も城崎さんは俺が落ち着くまで傍にいてくれた。俺はいつも貴方を突き放すのに…。一階に着きエレベーターを降りたら城崎さんに支えてもらいながら外のベンチに座る。すっかり忘れていた俺の鞄も一緒に持ってくれたようだった。外は街灯と月の光しかなくとても静かで控えめな風の音だけがしていた。
「はぁー…っ…はぁーっ…」
「炬闇くん大丈夫…?」
「はぁ…大丈夫です…ありがとうございました…」
「…うん」
「すみませんが鞄をもらってもいいですか」
「鞄ね、はい」
「ありがとうございます…」
鞄の中から飲みかけの水とケースに入った薬を取りだし飲み込む。即効性ではないと思うが”飲んだ”というだけで多少マシに感じる。隣にいる城崎さんの顔を見ると安心したのかすごく優しい顔をしていた。目があうと優しい表情から不安が入り混じった表情に変わってしまった。
「炬闇くん、本当に大丈夫…?病院行った方が」
「もう本当に大丈夫です。…さっきのアレは忘れてください」
「でも…今日家まで送っていくよ。いつも炬闇くん電車でしょ…?」
「…平気です、まだ電車はありますし薬も飲みましたから。…今日はすみません、ありがとうございました」
「…うん、何かあったら言ってね。また明日」
俺はその場から逃げるように足早に立ち去った。完全に呼吸が戻ったわけではなかったが城崎さんのおかげで大分楽だ。気持ちもあんなに取り乱した後なのにかなり落ち着いている気がする。
…怖かった。城崎さんの優しさが。明るくて誰にでも笑顔で話しかけられる彼にとっては当たり前のことをしただけかもしれない。でも俺にとってその”優しさ”は当たり前ではなくて動揺した。歩きながら後ろを振り向くと先ほど別れた事務所の位置から城崎さんは一歩も動かずこちらを見ていた。俺が振り返ったのが見えたのか手を振ってくる。俺は手を振り返すことなくすぐに前を向き直し、歩みを進める。なぜ、どうしてと頭の中で繰り返す。
…捨てた感情が戻ってきそうになる。
”あの人は大丈夫かもしれない” ”あの人なら信じてもいいかもしれない” ”俺を受け入れてくれるかもしれない” ”助けてくれるかもしれない”
俺が何を求めていたのかを思い出す。
あんなに冷たく接して貴方の誘いも全て断って嫌われるように突き放したのに、何故貴方は俺を助けてくれたんですか…?
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